ポーランド3 アウシュビッツ強制収容所Ⅱ(ビルケナウ) [ポーランド2018]
続いて車で5分くらい移動して駐車場から歩くと、アウシュビッツ第二収容所であるビルケナウが見えてきました。アンネフランクも2,3ヶ月収容されていた場所です。以前はもっと悲惨な印象しかなく(夜も寝られなかったくらい怖かった・・・)、懐かしいというよりは、なんとも言えない不思議な思いに駆られました。
これが正門です。
白い巨塔にも出てくる有名な門ですよね。
これも有名な線路跡です。
門の上の司令塔から見ると、線路を挟んで左側がレンガ造りが多いのが分かります。
そして右側がバラック小屋が多いです。
前回は右側を中心に見て回ったのですが、今回の中西さんガイドは左だけでした。(できれば右側も行きたかった・・・)
門を入って線路を改めて見てみます。
これが収容者がやってきた貨車。過酷な状況の中何日もかけてここに到着するため、中には到着した際に生き残っている人がほとんどいなかった事例もあるようです。
中谷さんの説明では、到着するとまずは選別されますが、ここでは到着する人の7,8割がすぐガス室送りとなっていたようです。
ビルケナウでは解放前にドイツ軍がガス室を爆破してしまったので原形をとどめているものはありませんが、これは死体を焼いた焼却炉の跡です。
そしてこちらがガス室跡。
右側の階段から降りて服を脱いでシャワーと称したガス室に送られたわけです。
奥に見えるのは戦後立てられた犠牲者の追悼を祈る碑。(近くまで行きたかったけど中西さんはスルーでした・・・)
こちらは焼却炉近くにある、犠牲者の灰や骨を砕いて蒔いた場所です。
続いて入って左側のレンガで出来た収容棟で数少ない入れる場所を1つ紹介してくれましたが、歩きながらもまじめな話が多い中谷さんでした。
こちらが収容者の寝る場所です。
これは収容者が描いた絵です。
少なくとも絵を描いている場合は死ぬリスクがないと思いながら収容者は描いていたのでは、と中谷さんが言っていました。
バラック小屋はもちろんですが、レンガ造りも崩壊のリスクがあり、このように多くの建物が支えられながら建っていました。
ビルケナウの見学は1時間程度でしたが、中谷さんがいろいろガイドで教えてくださるのは大変ありがたいのですが、一切遊びがないというか(場所も場所ですし、変な意味での”遊び”ではなく、なんというか、雑談とか自己紹介とかも一切無しという意味です。)、とにかく生真面目一辺倒でした。
もともと私の卒論のテーマがアウシュビッツで、生き残るために被害者が加害者になるというのもまさに卒論のテーマだったので、我ながら一般人よりは詳しいほうでありましたが、それでも今回多くを学びました。
一番いけないのはドイツではなく我々含む傍観者だということも中谷さんから教わりました!
今回の申し込んだツアーは16時ごろクラクフ着と書いてありましたが、実際は12:30くらいには戻ってきたくらいですし、強いて言えば30分くらいでもビルケナウで自主見学時間があったらなーと思いました。
(中西さんには言い出せませんでした・・・。また、他に日本人2人組がいたので、ポーランド人ガイドさんにも少し自由時間がほしいと言い出せませんでした・・・。)
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