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生きることとは・・・そして人生で一番美しかった光景を思い出した。 [Daily Life 2008]

私は決して悲観的な人間ではないと思います。

この2週間で色々な生き様をみてきました。
そのことについてここに記します。

ガンを患う祖母に先週末名古屋に会いに行きました。
みんなに迷惑をかけるだけだから一体いつになったら死なせてもらえるのかと、泣きながら訴えてきました。おばあちゃんの気持ちは良く分かる。でも、せめてそんな心配させないで最期を見届けたいから、私は生きていることだけでみんな嬉しいんだよ、と手を握って言い続けました。

私の大好きな伯父。
通産省でバリバリ働き、リタイア後は伯父は病で倒れるも夫婦むつまじく理想の夫婦。そんな伯父のお見舞いに行ったら、3ヶ月前までは普通に話せたのに、パーキンソン病でお話がほとんど出来なくなっていました。元気になったらどこに行きたい?と聞いたらイタリアと弱々しくと答えてくれたので、じゃあ私が連れて行ってあげる!と言ったらポロポロ泣いてしまいました。他にも私が来週引っ越すよ、と新居の図面を見せただけでもポロポロと・・・、オートロックで安心だね、と伝えたかったようですが、私には彼の涙は辛かった。

そして今日、前の会社の同僚のお通夜に行きました。
まだ44歳で急逝。今でも信じられません。今となっては彼と同じ会社の人間じゃなくても、明日には「ちょっと聞きたいんだけど~」と普通に電話しちゃいそうな私がいたりして・・・。でも安らかないい顔をしていました。お通夜に参列できない彼を慕う人々を代表するつもりでみんなの分お祈りしてきました。

一方私は、この前の人間ドックの結果で、今まで膠原病の中で数ある血液中の数値が悪を示している中でこれだけは陰性!という唯一の救いに陽性という裏切りを突きつけられました。

でも、こんな短期間で辛い光景を目の当たりにした日々で、本日悲しいながらも思い出したのが親愛なる既に他界したもう一人の祖母。
私の最も尊敬する人の一人。1ヶ月位前にとある取引先の人に「今までの人生で見た最も美しかった光景は?」と聞かれたことに以下のように答えたことを思い起こしました。

それは私がまだ小学生の頃。
祖母と手をつないで愛知の田舎を歩いていたら、車に引かれてぺちゃんこになっていた子猫を発見。私は子供で死骸をまともに見られなかったが、「この子猫にしてあげられることは何?」と祖母に聞かれ、幼い私は「もう死んじゃったから何もできないよー」と答えたら、彼女は「私たちに出来ることもあるんだよ」といきなりしゃがんで、ペタンコになった知らない子猫をアスファルトの道路から剥がしはじめました。
知らないネコのために・・・。そして私に「この子が天国で幸せに暮らせるよう静かな場所に移動させてあげようね」と言って、剥がしたネコを両手で抱え、近くの公園で二人で埋めました。
子猫を見られない私は、祖母の目に涙を浮かべた顔だけをずっと見ていました。
祖母のその顔が私には絵画で見たマリア様のように美しかったのです。おばあちゃんのような慈愛に富んだ人になりたいと思い、そのときの60代でありながら彼女の美しい顔は生涯忘れられません。そんな祖母はその約2年後にガンで他界しました。私はおばあちゃんのためにネコ2匹が楽しそうに遊んでいる姿を紙粘土で作り、亡くなるまで病院にずっとおいてもらいました。粘土は一緒に火葬できず、今でもその20年以上前の粘土のネコたちはパーキンソン病で苦しむ伯父の家にあります。

私もいずれおばあちゃんの元へ行くことになります。
その前に今日逝ってしまった元同僚が天国に召され、もう一人のおばあちゃんや、伯父や、順序からは両親がきっと先に召されることになるでしょうが、逝く人は私の愛するマザーテレサのようなおばあちゃんのところに行き静かで平和な「生」を嵩じ、残る者は逝った者の遺志を受け継ぎ、生きていくのです。

私は本日改めて思いました。せめてNever put off till tomorrow what you can do today.に則り、明日もがんばろうと、そして私を生かしてくれているすべての人に感謝をする次第です。
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